文章を書く原動力について

友人が「不条理だと自分が思うものへの憎しみが文章を書く原動力だ」というようなことをTwitterで書いていた(この場合は「つぶやいていた」とするべきなのかな?)のを見て、ふと自分の場合について考えた。
なんだかんだで表サイトから考えれば7年も文章を書いているし、お仕事としてクライアントの意に沿った文章を書くこともあるけど、何が原動力なのか未だによくわからん。


ただ、ひとつだけ言えるとしたら自分の場合、憎しみでは文章は書けないなぁということか。(書いたことがないとは言わない。そこまで聖人君子じゃあない)
でも真面目な話、憎しみってのは凄くプリミティブな感情で言語化するのは難しいと思うのですよ。これについては「おもしろい」の感情も根本的には同じことが言えるんで、レビューサイトを気取ってた人間としては言っちゃいけないことかな(笑)?
単に自分の文章力がないだけっつーことかもしれないけど、自分の場合憎しみで文章を書くと本当に粘着質に叩くための叩きになってしまうんで書くのが怖いんですよね。心のどこかで芸人気質というか「楽しませないと」みたいな自分が存在してる感覚。オチをつけないと落ち着かないというか。
そういう意味では自分が文章を書く原動力は「楽しませたい」なのかも。
もちろん「(自分が)楽しいから」も間違いなく重要な位置を占めているので、どっちが卵でどっちが鶏かは、それこそ神のみぞ知るのでしょうが。
おお、こう書くとなんかすげーかっこいいな。無駄に立派な人風味。


ま、そんな風にかっこつけつつも、結局のところは世間やWeb上の言論に対して怒りを持つほどのパワーが残ってないだけかもしれませんけどね(^^; 自分と、その周りの狭い世界のことだけで手一杯ですよ。あ、でも好きな作品とかをバカにされたときは怒るかな。少なくともムッとはする。